漫才コンビのザ・ぼんちは、誰もが知るお笑い界のレジェンドです。
芸歴は54年を迎えても、漫才賞レースに出場し挑戦する姿はかっこいいですね。
ザ・ぼんちは、1980年代の漫才ブームに火付け役であり、TVや舞台に引っ張りだこでした。
今回は、ザ・ぼんちの若い頃のギャラはいくらだったのでしょうか?
以外にも薄給だったとか!?
当時のザ・ぼんちのギャラを調査しました。
ザ・ぼんちの若い頃のギャラはいくら?
ザ・ぼんち師匠が1年ぶりに沼津劇場に出演いただきました😊!
— 沼津ラクーンよしもと劇場 (@numazu_rakuun_y) January 5, 2024
遠方から本当にありがとうございます!😊
1/8(月・祝)まで劇場は毎日稼働しておりますので、みなさん是非お越し下さい!☺️#ザ・ぼんち#沼津ラクーンよしもと劇場#沼津ラクーンよしもと劇場ポスター pic.twitter.com/Fu4Hsvxt3f
1980年代の漫才ブームで人気になったザ・ぼんち。
2025年現在、70歳を超えても漫才賞レースに挑戦するザ・ぼんちは変わらず大人気です。
今回は、そんなザ・ぼんちが若い頃の気になるギャラを調査しました。
漫才ブームで売れたけどTV出演1回が6千円だったってホント!?
ザ・ぼんちは、1980年代の漫才ブームで一気に人気者になった漫才コンビです。
1972年に、ぼんちおさむさんと里見まさとさんは、コンビを結成しました。
無名時代が数年続き、1980年に『花王名人劇場』や『THE MANZAI』に出演したことをきっかに人気者になったのです。
翌年の1981年に、ザ・ぼんちは歌手デビューをし、「恋のぼんちシート」を発表します。
なんと!芸人発の武道館でのコンサートを開催したのです。
現在より芸人の立ち位置が低かった昭和の時代に武道館を満員にしたお笑い芸人はザ・ぼんちだけなんです。
そんな偉業を達成したザ・ぼんちの当時のギャラは、
大阪の番組の「おかべろ」に出演した際に、ぼんちおさむさんはこう答えています。
当時のギャラを岡村に聞かれると
引用元:スポーツ報知
「6000円で、税金を引いて5400円」と明かし、MC2人を絶句させる。
税金を引かれて 5,400円!?
明けましておめでとうございます🎍
— おかべろ (@okabero_ktv) January 6, 2018
2018年も『おかべろ』をよろしくお願いします😆
カンテレ放送エリアの皆さま💡
今年初回の放送は、ザ・ぼんちのお二人が登場🙌
大好きなおさむ師匠のギャグに、岡村さん爆笑🤣
ぶっちゃけトーク満載の30分をお届けします!
今日午後2時27分から放送です✨#おかべろ pic.twitter.com/NeXJ17k1Is
『ザ・ベストテン』の出演料は、さらに安く、4,000円程度だったそうです。
TVの出演料って、安かったんですね。
昭和の時代は、今よりも芸人の立場が低かったというのもあるかもしれませんね。
最盛期は月収800万
マルコポロリ見てたけど、ザ・ぼんちのまさと師匠めっちゃ好き🥺あの年代で後輩にリスペクト持って誉めたり敬語使ったり素敵だし、おさむちゃんや後輩が喋ってる時の聞いてる表情も優しい。
— ぐ🐈⬛ (@sushi_3maida) June 3, 2024
絶対この人昔モテただろうなと思って調べたらやっぱりめっちゃイケメンだった。 pic.twitter.com/GY1GxtEvjI
漫才ブームの最盛期に入り、ザ・ぼんちの最高月収は、なんと、800万だったときもありました。
月収が800万!
すごいですね!
年収は数千万だったと、ぼんちおさむさんは答えています。
ですが、
ザ・ぼんちと共に人気だったツービート(たけし)のギャラはというと、
なんと、
年収4億!!
たけしさん、すごいですね。
それを聞いたぼんちおさむさんは、ガクッとなったそうです。
ザ・ぼんちは、大阪で大活躍していて、ツービートやB&Bより間違いないく忙しかったと、ぼんちおさむさんは当時を振り返っています。
レコードのギャラは1枚1円!?
ザ・ぼんちが歌手として出したシングルレコード『恋のぼんちシート』の売上は、約80万枚でした。
漫才ブームに乗って人気漫才師が続々とレコードを出す中で最大のヒット
— Sugartime (@HayabusaJETS) January 7, 2023
「アフタヌーンショー」山本耕一氏の
口癖「そーなんです」
をパクった歌詞
リズムよいメロディは
近田春夫提供作品
🎶
A地点から B地点まで
行くあいだに
すでに恋をしてたんです🎶#恋のぼんちシート#ザ・ぼんち 1981年 pic.twitter.com/m4nEcvICle
オリコンチャートは最高2位を記録する大ヒット曲となり、全国7ヶ所縦断コンサートを開催し、最終日に日本武道館でコンサートを開催しました。
このレコードの売上げから、ザ・ぼんちに入ったギャラは、レコード1枚に1円だったそうです。
80万枚売れたということは、80万円ですね。
ザ・ぼんちの2人で折半だったかどうかは分かりませんが、80万て、ちょっと安い気もしますね。
ザ・ぼんちの過酷スケジュール伝説
ザ・ぼんち『ラヂオ』
— 懐かしい昭和時代(女性) (@natsukashi__) January 10, 2021
週刊セブンティーン 1981年(昭和56年)4.7号 #ザ・ぼんち#昭和 pic.twitter.com/x35zODuKsG
1980年代の漫才ブームの火付け役であったザ・ぼんち。
同年の「THE MANZAI」で一躍人気がでました。
それまで無名のザ・ぼんちでしたが、『THE MANZAI』に出演した翌日に乗った飛行機の機内で、CA(当時はスチュワーデス)にサインを求められたことで「僕の人生は変わった」と里見まさとさんは思ったそうです。
一気に人気が出たんですね。
そんなザ・ぼんちの2人ですが、漫才ブームで人気が最盛期の時は、過酷なスケジュールでした。
伝説になっているエピソードをまとめました。
すごい過酷なスケジュールだったんですね。
このハードスケジュールは、3年ほど続いたようです。
まとめ
今回は、ザ・ぼんちさんの若い頃のギャラを調査しました。
1980年代、漫才ブームの火付け役であったザ・ぼんちさん。
当時のテレビ出演のギャラは、1本6千円は本当でした。
ですが、最盛期は、月収が800万のときもあったそうです。
アイドル芸人の先駆けでもあったザ・ぼんちさんの過酷なスケジュール伝説もまとまめしたよ。
70歳を超えたザ・ぼんちの今後の活躍もとても楽しみです。
応援しています。