お笑いコンビ、ドドんの石田芳道さんは、お坊さん芸人として人気です。
石田芳道さんは、実家のお寺の跡継ぎなのですが、現在は芸人として活躍しています。
今回は、実家のお寺を継がずにお笑いの道に進んだ石田芳道さんの芸人になるまでの執念ともとれる努力の経緯をお伝えします。
また、石田芳道さんの父親が背中を押したエピソードもご紹介します。
ドドん石田芳道が芸人になったきっかけがヤバい!?
THE SECOND 16→8行ってきます!
— ドドん石田芳道 (@dodonishida) April 19, 2025
お坊さん漫才一筋16年、ぶつけます!! pic.twitter.com/wwrxDRKkhW
お坊さん芸人の石田芳道(ドドん)さんの実家は、愛媛県松山市にある雲門寺というう由緒あるお寺です。
石田芳道さんは、お寺の跡継ぎなのですが、現在はお笑いコンビ【ドドん】のボケ担当で活躍しています。
今のところ石田芳道さんは、実家のお寺の後継ぎはしないんだとか。
芸人の仕事が好きなんですね、きっと!
では、石田芳道さんが芸人になったきっかけとお笑い界進んだ経緯をお伝えします。
芸人を目指したきっかけは小学生のとき
THE SECOND ノックアウトステージ32→16を終えての感想回です!
— ドドん石田芳道 (@dodonishida) March 25, 2025
時を同じくして、我々も母心さんとご一緒したいと主張してます!?
【波乱!?】"THE SECOND 2025"で下馬評を覆す快挙を起こした!?https://t.co/2eJys2fLjB#THESECOND#ザセサンド pic.twitter.com/wHDDk1UvJj
石田芳道さんは、小学生のときから芸人になりたいという夢を持っていました。
芸人になったきっかけや理由について調査しましたが、はっきりした情報はありませんでした。
石田芳道さんが小学生の頃に流行ったお笑いやバラエティ番組が影響しているのでは?と思い、考察してみました。
石田芳道さんが小学生の頃にどんなお笑いが流行っていたのか調べてみましょう。
石田芳道さんは、1985年生まれで、小学生5年生の時は、1996年です。
1996年前後に流行していたものは、
・アムラー
・ルーズソックス
・たまごっち
なつかしいですね。
では、1996年前後に流行っていたお笑い番組を調べてみましょう。
・ダウンタウンのごっつええ感じ
・とんねるずの生でダラダラいかせて!
・ウッチャンナンチャンのうりなり
・ASAYAN
・電波少年
・笑っていいとも
1996年頃に人気だった芸人は、
・ダウンタウン
・ウッチャンナンチャン
・猿岩石
・とんねるず
ちなみに、一発屋の芸人に、つぶやきシローさんがいました。
1995年ごろは、ベテラン勢のほかに、第四世代と呼ばれるお笑い芸人たちが進出し始めました。
・ナインティナイン
・よゐこ
・雨上がり決死隊
などの出演が増えた時期です。
ベテランや駆け出しのお笑い芸人がバランスよく混在していて、とても賑やかなお笑い時代でした。
当時、小学生だった石田芳道さんは、そんなお笑いの世界に魅了されたのかもしれませんね。
進路は地元ではなく関西の大学を志望
『ナイツ ザ・ラジオショー』に出演しました!!!https://t.co/HNPk5pOcTo pic.twitter.com/qGeaKu780p
— ドドん石田芳道 (@dodonishida) December 30, 2024
石田芳道さんは、高校生になっても芸人への夢を諦めていませんでした。
高校で進路を決める際に、お笑いをやるには愛媛の地元ではなく、大阪がいいのでは?と関西方面の大学を志望していました。
関西に行けば、なにかしら芸人の道へのきっかけが掴めると思ったのかもしれませんね。
大学時代はピン芸人でTV出演も
我らがドドん石田和尚の出番は最後な代わりに長めに♪ https://t.co/VgUJwJ8ujZ pic.twitter.com/E5PcJgCYXp
— 藤次郎 (@deki3) January 12, 2023
石田芳道さんは、愛媛県の松山大学に進学しました。
在学中は、落語研究会に所属し、ここでもお笑いへの執念を感じますね。
大学生時代の石田芳道さんは、ピン芸人で活動していて、芸名を『いしだとうふ』という名前で活動していました。
芸名「いしだどうふ」は、「石田」が石で固いイメージなので、逆に豆腐のように柔らかいイメージを持たせるように付けたそうです。
石田芳道さんは、在学中にお笑いの全国大会で優勝しています。
大学4年のときは、日テレ系の『カイブツ』に出演したこともあります。
大学生時代にTV出演ってすごいですね!
お笑いへの執念を感じますね。
僧侶の修行は異例の半年で住職の資格取得
本物のお坊さんです!色んなお坊さんがいるみたいです。
— R-1グランプリ (@R1GRANDPRIX) January 4, 2015
ドドん石田芳道。 pic.twitter.com/u7igjII47W
石田芳道さんは、地元愛媛の松山大学を卒業後もお笑い芸人になりたいという夢は変わらず持っていました。
住職である父親を納得させるために、住職の資格を取ろうと修行に入ります。
通常、住職になるための修行は、1年かかるそうですが、石田芳道さんは、なんと最短の6ヶ月で修了したのです。
その理由は、はやり
という思いからでした。
執念ですね!
曹洞宗の修行ってどんな修行なのでしょうか?
曹洞宗で住職になるためには、修行や資格取得の過程が必要です。
曹洞宗の住職になるための基本的な流れ
1、仏門に入るための儀式ー 得度
得度によって僧侶としての基本的な資格を得て、髪を剃り、戒律を受け止めます。
2、修学と教師資格
・大学・専門学校ルート
曹洞宗の関連大学で仏教学や曹洞宗の教えを学ぶ。
・試験ルート
曹洞宗による教師試験を受験し、合格する。
3、修行
教師資格取得後、あるいは並行して、僧堂でのお修行が必要です。
・最低修行期間:住職資格取得後のためには、最低でも半年以上(大学卒業)の修行期間が必要。
・修行場所:永平寺(福井県)や總持寺(神奈川県横浜市)の本山僧堂、あるいは宗立専門僧堂など
石田芳道さんは松山大学の経営学部を卒業しているので、曹洞宗の教師資格と半年以上の修行が必要ということですね。
厳しい修行の様子
石田芳道さんが修行したお寺の情報はありませんでしたが、修行の様子を振り返ったブログがありました。
大学を卒業してすぐお寺の修行に行ってた時の話しです。
※これは僕が行った修行寺の僕が行った時期の僕の思い出話です。全てのお寺がどうとかではありません。
がむしゃらに修行に明け暮れる日々。
朝4時前に起きて、夜9時半に強制就寝のタイムスケジュールで明け暮れる日々。
娯楽なし。
引用元:note
石田芳道さんは、曹洞宗の修行僧の様子を伝えるライブイベントを観に行った際、修行経験をブログに綴っています。
静寂の中鳴り響く
振鈴や
洗面の水の音
お経
修行時代を
思い出しました
特に
木版の音は
何か
ドキッとしました
何だろ
朝だ
うわっ
朝がきたって感じでした
修行の時は
1日が長すぎて
目を閉じたらもう
朝だ
って感じでしたもん
なかなかもう
4時前起きなんてないもんなぁ
21時半に寝ることの方が
もっとないですが
引用元:アメブロ
厳しい修行なんですね。
石田芳道さんは、修行を6ヶ月で修了し、住職の資格を取得して、父親を納得させてのでしょう。
石田芳道の父親が後押ししたお笑いへの道
テレビの収録へ!
— ドドん石田芳道 (@dodonishida) December 10, 2019
お久しぶりの脳みそ夫さん!!
安田さんと実家が近くて
「TSUTAYAなくなりましたねぇ」
「スシローになりましたね」
とローカルトーク繰り広げてた〜す🐙 pic.twitter.com/szDibA09FN
石田芳道さんが高校生の時に関西方面の大学進学を希望した理由が、お笑い芸人になるためだったと、石田さんの父親は、その時に初めて知りました。
石田芳道さんは、その時に芸人になりたいという思いを初めて両親に伝えたのです。
住職である父親から反対されるかと思いきや、答えは以外はものでした。
芸人になった時のエピソードにもなる。
と諭され、地元愛媛の松山大学へ進学しました。
父親が、芸人になることを許していたのかどうか分かりませんが、芸人の道への後押しともとれますね。
石田芳道さんは、学部は経済学部です。
仏教系の大学ではなかったんですね。
ちなみに、松山大学経済学部の偏差値は、49です。(マナビジョンより)
石田芳道さんの父親は、芸人には広い知識と広い人生経験が必要だと思ったのかもしれませんね。
石田芳道さんがお笑いへの道をあきらめなかったのは、父親が背中を押してくれた愛だったんですね。
まとめ
今回は、お笑いコンビ【ドドん】のお坊さん芸人で人気のある石田芳道さんが芸人になったきっかけとお笑い界に進むまでの経緯をまとめました。
・小学生の頃から芸人を夢見ていたのがお笑い界へのきっかけ。
・大学在学中は、ピン芸人でテレビ出演した。
・大学卒業後は、僧侶の修行へ。親を納得させるために1年のところ半年で住職資格を取得。
石田芳道さんの父親は住職ですが、芸人になったときにエピソードになるからと、地元の大学に進学することを後押ししたのです。
僧侶になることを強要せず、おおらかな愛で見守ったエピソードは心温まりますね。
お笑い芸人ドドんの石田芳道さん、今後の活躍もとても楽しみです。