ザ・ぼんちの若い頃のギャラはいくら?漫才ブームで売れたけどTV出演6千円てホント!?

漫才コンビのザ・ぼんちは、誰もが知るお笑い界のレジェンドです。

芸歴は54年を迎えても、漫才賞レースに出場し挑戦する姿はかっこいいですね。

ザ・ぼんちは、1980年代の漫才ブームに火付け役であり、TVや舞台に引っ張りだこでした。

今回は、ザ・ぼんちの若い頃のギャラはいくらだったのでしょうか?

以外にも薄給だったとか!?

当時のザ・ぼんちのギャラを調査しました。

目次

ザ・ぼんちの若い頃のギャラはいくら?

1980年代の漫才ブームで人気になったザ・ぼんち。

2025年現在、70歳を超えても漫才賞レースに挑戦するザ・ぼんちは変わらず大人気です。


今回は、そんなザ・ぼんちが若い頃の気になるギャラを調査しました。

漫才ブームで売れたけどTV出演1回が6千円だったってホント!?

ザ・ぼんちは、1980年代の漫才ブームで一気に人気者になった漫才コンビです。


1972年に、ぼんちおさむさんと里見まさとさんは、コンビを結成しました。


無名時代が数年続き、1980年に『花王名人劇場』や『THE MANZAI』に出演したことをきっかに人気者になったのです。

翌年の1981年に、ザ・ぼんちは歌手デビューをし、「恋のぼんちシート」を発表します。

なんと!芸人発の武道館でのコンサートを開催したのです。

現在より芸人の立ち位置が低かった昭和の時代に武道館を満員にしたお笑い芸人はザ・ぼんちだけなんです。



そんな偉業を達成したザ・ぼんちの当時のギャラは、


テレビ出演1回のギャラは6千円



大阪の番組の「おかべろ」に出演した際に、ぼんちおさむさんはこう答えています。

当時のギャラを岡村に聞かれると
「6000円で、税金を引いて5400円」と明かし、MC2人を絶句させる。

引用元:スポーツ報知



税金を引かれて 5,400円!?



『ザ・ベストテン』の出演料は、さらに安く、4,000円程度だったそうです。

TVの出演料って、安かったんですね。

昭和の時代は、今よりも芸人の立場が低かったというのもあるかもしれませんね。

最盛期は月収800万

漫才ブームの最盛期に入り、ザ・ぼんちの最高月収は、なんと、800万だったときもありました。


月収が800万!

すごいですね!


年収は数千万だったと、ぼんちおさむさんは答えています。




ですが、


ザ・ぼんちと共に人気だったツービート(たけし)のギャラはというと、

なんと、

年収4億!!


たけしさん、すごいですね。


それを聞いたぼんちおさむさんは、ガクッとなったそうです。


ザ・ぼんちは、大阪で大活躍していて、ツービートやB&Bより間違いないく忙しかったと、ぼんちおさむさんは当時を振り返っています。

レコードのギャラは1枚1円!?


ザ・ぼんちが歌手として出したシングルレコード『恋のぼんちシート』の売上は、約80万枚でした。


オリコンチャートは最高2位を記録する大ヒット曲となり、全国7ヶ所縦断コンサートを開催し、最終日に日本武道館でコンサートを開催しました。


このレコードの売上げから、ザ・ぼんちに入ったギャラは、レコード1枚に1円だったそうです。

80万枚売れたということは、80万円ですね。

ザ・ぼんちの2人で折半だったかどうかは分かりませんが、80万て、ちょっと安い気もしますね。

ザ・ぼんちの過酷スケジュール伝説

1980年代の漫才ブームの火付け役であったザ・ぼんち。

同年の「THE MANZAI」で一躍人気がでました。

それまで無名のザ・ぼんちでしたが、『THE MANZAI』に出演した翌日に乗った飛行機の機内で、CA(当時はスチュワーデス)にサインを求められたことで「僕の人生は変わった」と里見まさとさんは思ったそうです。

一気に人気が出たんですね。

そんなザ・ぼんちの2人ですが、漫才ブームで人気が最盛期の時は、過酷なスケジュールでした。

伝説になっているエピソードをまとめました。


・漫才ブームの最盛期は、1日20本の仕事をこなしていた。

仕事のダブルブッキングで、ヘリコプターで移動したが、
 結局、予定に間に合わず1時間半遅れて到着し、その間を太平サブロー・シローがつないだ。

・トリプルブッキングもあった。

・ラジオのレギュラーが週に14本。

・テレビの仕事は、1ヶ月で125本。

東京と大阪を新幹線で1日で、2往復半したこともある。(当時はのぞみはありませんでした)

・東京の宿泊は、赤坂プリンスホテルを予約してあっても、チェックインしたら、すぐにチェックアウトしないといけなかった。

・ハードスケジュールで、里見まさとさんは、しょっちゅう倒れて点滴を打っていた。

・ぼんちおさむさんは、倒れたことはないが、吉本がトリプルブッキングしてしまい、
 ザ・ぼんちが倒れたことになって出なかったイベントもある。

・夜のヒットスタジの仕事が急遽入ったので、吉本は先に予定していた仕事を
 ザ・ぼんちの病気を理由に断ってヒットスタジオに出た。

でも、生放送だから病欠じゃないことがバレバレだった。

・夜のヒットスタジオは、五木ひろしでさえ5時間前からリハをするのに、ザ・ぼんちは、ギリギリで到着しリハもマイクテストもしないで歌った。

すごい過酷なスケジュールだったんですね。

このハードスケジュールは、3年ほど続いたようです。

まとめ

今回は、ザ・ぼんちさんの若い頃のギャラを調査しました。

1980年代、漫才ブームの火付け役であったザ・ぼんちさん。

当時のテレビ出演のギャラは、1本6千円は本当でした。

ですが、最盛期は、月収が800万のときもあったそうです。

アイドル芸人の先駆けでもあったザ・ぼんちさんの過酷なスケジュール伝説もまとまめしたよ。

70歳を超えたザ・ぼんちの今後の活躍もとても楽しみです。

応援しています。


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